水曜日

copipe

hkitago:

“「学習」のレベル0(ゼロ学習)は、学習の結果の状態。九九が言えたり、自転車が漕げたりするのはレベル0。出来ていることは、いくら繰り返しても「変容」にはならない。それに対し、新しいことに挑戦し、何かを身につけようとするのがレベル1。「ゼロ学習の学習」ということで、一般的な「学習」のことです。初めて坂道を自転車で登るとき、立ち漕ぎをしてみるとか蛇行するとか、いろいろ試行錯誤し、最適な方法を見つけようとする。そのプロセスが「レベル1」。 すると「レベル2」は、そのレベル1を見つける方法自体を模索すること。学習の仕方の学習。一段レベルが上がります。三年坂の登り方を身につけたなら、その「身につけ方」を分析して、七年坂の登り方を効率良くする。「般化」や「転移」と言われるもの。このレベル2が出来るようになれば「一を聞いて十を知る」のも容易。しかし、ここまでは誰もがやっていること。 ベイトソンはさらに人間には「レベル3」があるだろう、と考えている。レベル2自体を新しくし続ける方法。簡単に言えば「初心に帰る」ということです。身につけたものをご破算にして、いつも新鮮な気持ちで事態と向き合い、それと関わることを「学習」し続ける境地。芸事で言えば、型を身につけるのがレベル1で、新しい演目ごとに「あるべき演じ方」を編み出すのがレベル2。そして、その「型」に囚われず、打ち破り、自由な表現方法を生み出すのがレベル3。「学習」には、こうしたレベルの違いがある。”

みんなのベイトソン - 蔵出し心理学 (via ginzuna)