“「『○○』を読んでいるのだが、おもしろい」と発言することで、『○○』に対する興味が萎えてしまうという問題を言葉にした。まもなく、その原因は、意味や評価が端的な言葉によって自分のなかで固定されてしまって、意味の揺らぎや新しいつながりが途絶えてしまうことだと気づいた。この発想には何十秒ほどのすき間しかなかった。この問題提起は「いや、そんなものはない」という反語のような表現とすら思っていた。 こんな気づきから、そもそも前提を信じられない問いや、整っていなくてあいまいな問いにも意味があるのではないかと期待してしまう。解釈を広げれば、ある考えの価値は、その考えが出た瞬間に決めることができない。価値がないと自覚した考えも、アクセス可能にしておく(覚えておく、書いておく、公開しておく)ことで、価値が生えてくることがある。 書くことは意味の広がりをくぎづけにするくさびのようなものだという想像をもって僕はこの日記をはじめた。しかし、書くことは発想の庭であるという焦点も見つかった。”— 書くというくさび - 反言子 (via mmqqbb)