金曜日

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ふたつめは、サーキュラーな問題解決である「リフレーミング」。事実を変えるのではなく、そこから得られる意味を変えるという試みである。たとえば、ものは言いようというやつで、他者の評価を(自分の中で)変える言葉がある。あるいは、「よかった探し」や「ネガティブをポジティブに言い換える」というやり方だ。自分が、どのような認知に則っているかに、自覚的になる訓練だ。

  落ち着きがない→活動的   デブ→(男)貫禄がある・(女)ぽっちゃり   怒りっぽい→ 感受性が豊かな   わがまま→妥協しない   優柔不断→慎重   しつこい→粘り強い   協調性が無い→独立心が強い

 わたしは、このリフレーミングという手法を「妻の怒り」について適用していた。

 つまりこうだ。妻が怒り狂うとき、わたしは会話によってその原因を追求し、解消しようと努めていた。怒りの原因となるものがあり、それが怒りという結果を引き起こしているのだと信じていた。

 だが、それは間違っていた。いやむしろ、「怒りの原因を分析する」ことは、妻の怒りを劇化する一因となっていることに気付いた。「なぜ怒っているのか」「どうしたらその怒りの原因は解決するのか」について、ノートに詳細に洗い出し、分析し、論理的な対応付けしようとする行為そのものが、妻の怒りを増幅させる原因となっていることが、長期間のサンドバック状態を経て、ようやく分かった。

 そして、妻の「怒り」を再定義できないかと考えた。つまり、妻が怒っているとき、その怒りの原因の「何か」ではなく、別の感情が元にあり、その二次的な表出として「怒り」があるのではないかと仮定したのだ。たとえば、心配、苦痛、寂しさ、不安、残念、苛立ち、空腹といった感情や欲求不満的な状況が元にあり、それが「怒り」という形になっているに過ぎないと考えたのである。

 妻の「怒り」の意味づけを変えれば、対応が見えるようになった。怒りの予備動作の前に、妻がどのような状況なのかを判断し、その感情を増幅させるように相づちを打つのだ。すなわち、その怒り(の裏側にある感情)はもっともであり、もっと大げさに訴えてもいいものであり、そうなるのも当然だと同意するのである(たとえその矛先がわたし自身でも!)。妻は、怒りの因果ループにゆさぶりをかけられ、拍子抜けし、本当は何に対して怒っていたかに気付くようになる。

 つまり、怒りとは二次的な感情なのだ。そして、怒りをリフレーミングすることで、怒り→弁明を求める→弁明に対して激昂するという悪循環のループから逃れることができる。怒りに対処するのではなく、怒りの因果ループのエンジンとなっている一次感情を、怒りを再定義することで見つけ出すのだ。わたしは、スマナサーラ『怒らないこと』でこの技法を学んだが、『問題解決大全』ではわずか7ページでまとめている。



- 読書猿『問題解決大全』はスゴ本: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる (via mikke)