“プライド”—
「自分をみつめる」
エッセイ
http://www.mitachiacademy.com/es2005-7.html
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「ありのままの自分を正直に表現してみなさい」という言葉からはほど遠く、プライドに執着してしまうと正直な自己表現が出来なくなってしまいます。
プライドは持たないほうがいいようですし、持っている人は捨ててしまったほうがいいようです。しかし、これがそう簡単にいかないのでしょう。
特に社会的に高い職業についている人、名声を手にしている人や高額所得者などにとってみればとてもむつかしい問題に違いありません。
「職業に対してのプライド」
「地位や役職に対してのプライド」
「資産・財産に対してのプライド」
「特殊な能力や才能に対してのプライド」
「ライセンスや資格に対してのプライド」
「人種や血縁関係・家柄に対してのプライド」
「宗教に対してのプライド」
など思いついて書き出しただけでもたくさんありました。これをすべて完全に捨ててしまうことは出来ないかもしれません。誰もが心の中では、こう思っているのではないですか?
「俺は才能があるから凡人とは違う。」、「俺はこれだけの資格を持っているのだから他の連中とは違うのだ。」、「本当の信仰を持たない人間は、不幸せだ。」、「私は○○人だから世界一優秀な民族だ。」などと。
自分自身に自問自答してみるとひとつやふたつ心の奥に潜んでいるプライドがあるように思います。普段おもてに出てこないだけで隠しているのかもしれません。
人はみな実はプライドを持てるほど成功したいと考えているのでしょう。やはりプライドも人間が持つ欲望・煩悩のひとつであり根こそぎ取り去り捨てることは出来ません。
結局プライドとはあまり捉われない執着しないでいたほうが心を乱さず平穏に生きていけるということです。最終的に行き着く所は、「中庸」の世界かもしれません。どちらにも偏らない、どこにも心を堅く固定せずに解放させておくことが自由を会得するコツなのでしょう。
大手企業の役職に就いていた人、政治家、官僚などプライドを捨てきれずにその地位にいつまでもしがみつく醜い姿をよく見かけます。
「自分たちが社会を動かしているのだ。」、「私は、才能に恵まれた選ばれたエリートなのだから得をするのは当たり前だ。」、「私は特別優秀な人間だから多少の間違いは許されるのだ。」、「まだまだここでやらなくてはいけない職務があるからやめられない。」とプライドの高い人ほど横柄で自分勝手です。
自分自身の本当の姿が見えていないようで、まさに裸の王様です。
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(via awarenessxx)