金曜日

copipe

fortyniner045:

“●北満州に残された開拓民27万名の運命は、苦難というより悲劇だった。獣の如きソ連兵による虐殺、略奪、強姦は怖るべきものだった。老人、女、子供ばかりの難民の列に対し、丘の上から機銃掃射を浴びせることもあった。 絶望の中で数十人、数百人単位の集団自決が相次いだ。父親が泣きながら我が子そして妻を撃ち、最後に自らの命を断つ、というような光景が随所に見られたという。 ●8月15日に日本が降伏し、三日後に大本営が全軍に武装解除の命令を出しても、ソ連軍は進撃を止めなかった。軍隊や避難民が武器を捨てた後は、ソ連兵に加え、中国人が暴民化して丸腰の開拓団を襲った。死んだ日本人から衣服を奪う、ということまでした。        《藤原正彦 「この国のけじめ」》 ●満蒙開拓団のなかで、最近まで明らかにならなかった悲劇がある。それが秋田県雄勝郷開拓団の集団自決である。「満洲開拓団雄勝郷の最後」(伊藤正編著)と題した小冊子に、その悲劇の一端が記されている。 〈八月九日、蘇聯(ソ連)の宣戦なるに及び、十七歳より五十歳までの男子根こそぎ動員となり、團内は老幼婦女子のみとなり、悲壮の決意を以てその運営に當たらねばならぬ状態となりました〉 ●ソ連軍の侵攻とともに、中国人の満州反乱軍が村を襲った。開拓団には銃や手榴弾、日本刀などの武器もあったが、女子供だけでは太刀打ちできない。 〈八月十九日午後四時頃、多少小康を得たるも、手持ちの弾丸残り少なとなり、且つ疲労甚しく、このまま生きて恥を宙外に曝さんより死して護國の鬼と化さんと、老幼婦女子二百六十餘名、遥か東方を伏し拝み、互に相擁し、相勞はり、あわれ痛ましくも手榴弾により、従容悲愴の最後を遂げたのであります〉 ●この集団自決のうち15歳以下の子供が、男子73人、女子66人もいる。雄勝郷開拓団の妻たちは終戦も知らされないまま、戦地に向かった夫の足手まといになるまい、と決意し、命を絶ったのだという。「死にたくない」と泣き叫ぶ子供と無理心中した。なかには逃げ出して行方不明になり、残留孤児になった子供もいる。          《森功 SAPIO 2015/8月号》 ※日本人とは、こういう人たちなのである。「沖縄集団自決は軍の命令」などというのは、まったくのねつ造話である。(管理者)”

満州(まんしゅう)での、日本人の被害

http://kenjya.org/higai1.html

(via awarenessxx)