“では空襲警報が鳴った時、昭和20年の大学生たちはどうしていたのか?山田風太郎『戦中派不戦日記』を見てみよう。>昭和20年3月4日 >「朝七時半警報発令。思わず歓呼の絶叫をあげて奥さんに叱られる」 出だしからこれである>「きょうは数学の試験なり。余は数学的白痴なれば高等数学のごとき、初めから投げて授業中、講義の声をきいたことなし。されど一科目にても五十点以下のものあればら、落第せしむるとのことにて、五十点はおろか一点もおぼつかなきゆえ途方にくれいたるなり」 戦時下だろうが大学生である>「試験中空襲ありたらば如何と学校に談判せるところ、学校にても種々考えた末、その場合は諸君を信頼して無試験合格すとの確約を得たり」 >「されば、明朝B公来ないかな、などとつぶやきて高須さん夫婦を怒らしめたるは昨夜のこと」 空襲警報=無試験合格という条件に食いつくこの学生>「本日、高等数学の試験の日、よりによってこの時刻に来る。我が顎緩まずんばあらず。朝飯を食いつつも笑い、奥さんに叱らる」 やだ、この人、単位しか頭にない>「十時半解除、登校す。路上みな帰り来る。果して試験はなしと。みな「万歳だ」と両手をあげて見せる。頗る上機嫌なり。余も大東亜戦争は余のこの日のために勃発したるにあらずやと感涙にむせぶ」 東京医学専門学校の学生たちのこの様子よ”— Twitter / NAVY_ICHIHO (via dud2564)