佐世保事件の1ヶ月と少し前の6月10日、この事件の被疑者を診察した精神科医が、県に対し「この女子高校生は人を殺しかねない」と電話で通報したことが報道されている。
大事件が発生したとき、それは未然に防げなかったのか? という議論が巻き起こるのは当然かつ健全である。だから事前にサインがあったとか、通報があったとかいうことが、事後になって話題にされるのもまた当然かつ健全である。
しかし、サインや通報があったからには防げたはずではないかという批判は、失当かつ不健全である。
たとえば保健所に通報がある。警察に通報がある。児童相談所に通報がある。県に通報がある。通報とは、大量にあるのである。信頼性の高いものから、あまり信頼できないものまで、さらには中傷や虚偽や妄想もある。通報があったからといって、そのすべてについての対応を公的機関に求めるのは失当である。
それに、対応を取ると決めたとして、ではどういう対応を取るのか。ある人物が危険で、何か大変なことをしそうだという通報に対して、具体的に可能な実効ある対応とは何か。その人物を監視下におく? その人物を拘束する? そんなことが行われるとしたら、それは恐ろしい社会である。危なそうだからといって、予防と称して、個人の自由を奪うことを容認するのは、限りなく不健全な考え方である。
だから、大事件後になって、「事前に通報があった」ことを問題にするのは、ほとんど意味がない。ほとんど意味がないのが普通だ。しかし佐世保事件はこの「普通」があてはまらない。なぜなら、通報したのが精神科医だからだ。
- 佐世保事件、ジョーカー、タラソフ原則 | Dr林のこころと脳の相談室 (via rpm99)