“歴史上の逸話というのは、面白いですし理解を深めるのにも便利なものです。当該する事件の性格や、人物の為人を窺い知る上で大いに助けになってくれます。ただ、言うまでもないことですが、その逸話一つから即断してしまうのは色々と問題。今回は、それに関係してなくもない歴史上の逸話を少し見てみようかと思います。 南北朝末期・足利前期の武将である今川了俊が、晩年に『難太平記』という書物を著しました。父祖・自身の事跡を子孫へ向けて書き残すのを目的としたこの書物、南北朝動乱における逸話を結構残しています。例えば、足利氏が建武政権と敵対する事となって間もなくのこんな話も。 足利一族を討伐するため後醍醐天皇の命を受けて関東へ向かってきた新田義貞軍を、足利直義は駿河・手越河原で迎え撃つも大敗北。 この時、配下にいた細川卿房という武将は「錦小路殿御討死有べきよし」(塙保己一編『群書類従 第拾四輯』経済雑誌社 700頁)を申し出ます。逃げた挙句に恥を受けるよりは潔く…ということでしょう。一方、同じく従軍していた今川範国は「是は御討死のつぼにあらず。御退有て味方をまとめられて、後日の御合戦可目出之由」(同書 同頁)を進言、直義の馬の口をとって退却させたのだとか。 結局、直義の兄・尊氏が出陣する事で形勢逆転し、足利軍は敵を追って上洛。しかし京の攻防戦で敗北し、再び存亡の危機に陥りました。この時、逃げた先の兵庫魚御堂で、やはり例の二人が意見具申。今度は細川卿房が「御舟にめさるべし」(同書 同頁)と勧めたのに対し、範国はというと「是にて御腹めさるべし」(同書 同頁)と言ったそうです。 最終的に、足利軍は九州へ落ち延びて再起に成功。再び上洛を果たし、自らの政権を樹立したのです。それにしても、同様な戦場での危機に際し「逃げ延びて再起を図る」か「もはやこれまでと潔く命を捨てる」かの選択を、同じ二人が揃って前回とは正反対の答えを出す。これは直義にとっても印象が深かったらしく、此二ヶ度はすでにはや御先途と覚しめし定しを、両人の異見うしろあはせなり。清き武者の心は、同じかるべしと思ふに、此ちがひめは今に不審也(同書 同頁)【現代語訳】この二回の敗戦は、いずれも「もはやこれまで」と覚悟を決めていたのだが、この時の二人の意見は正反対であった。清い武者の心は同様なものだと思っていたが、この通りな相違が出たのは今でも不思議なことだ。と語り草にしていたそうで。 「信頼に値する二人の人物AとBが、ある危機に際して正反対の答えを具申」。これだけなら、よくあるどうということもない話ですが、「少し後の同様な危機に瀕した時、AとBは今度は二人共前回と逆の意見を進言」というのは確かにインパクトあるでしょう。どちらか片方の逸話だけで、二人の性格を判断するのはこの場合において不適切であると言えます。歴史上の逸話というのは本当に面白いものですが、解釈には十分注意が必要になりそう。そういうことを歴史上の逸話から教わる、というのも興味深い現象ですね。【参考文献】塙保己一編『群書類従 第拾四輯』経済雑誌社『日本大百科全書』小学館”
- 一つの逸話だけから性格を判断するのは慎重に~信頼すべき同一人物が似た状況で言う事が正反対~ : とらっしゅのーと (via petapeta)