yasaiitame:
“前述の「中国の水事情 ~」 で書いたんですが・・・もっとはっきり言ってやる人はいないのだろうか?土地を穢すことは、魂を穢すことだ。水を穢すことは、己の血肉を穢すことだ。大気を穢すことは、己の子孫を穢すことだ。早く目を覚ましなさい、と。・・・というのを あらためて読んでみたら、思い出しました! 唯一、中国国家主席に 中国の環境破壊について面と向かて忠言した人がいることを!!そう、それは天皇陛下だったのです。平成二十年 五月に来日した 中国の胡錦濤主席への進言について当時の週刊文春記事にこうあります。「天皇陛下が、中国国家主席に、環境破壊をおたしなめになった」 ・・・と。 「・・・農業で農薬が使われないことが大切です。 動物にとって良い環境ということは、人にとっても好ましい環境ということです。」・・・という、中国の環境問題に対して異例ともいえる踏み込んだ発言をなさり、国家主席を狼狽させたとのことです。しかし これは、そこらへんに転がっているような 「異例」 ではありません!戦後、60余年にして初めて、天皇が他国の最高権力者に直接的な進言をなさったのですから・・・。しかも、あの恫喝国家中国の頭に、面と向かってはっきり言えるのは、天皇陛下だからこそです。この「掛け値なし」のお心とお立場あってこそ実現されたことと言えるでしょう。日本に皇室があってよかった・・・日本にこんな天皇陛下がいらしてよかった・・・ と、あらためてそう思います。この、天皇陛下のお言葉ですが、動物にとって良い環境ということは、人にとっても好ましい環境これは、じつは、先に書いた、「森は生きている ~自然との共生 」 という記事にも関係してくることなんです。なぜなら天皇家は、まさにこの「共存共栄」の精神だからです。この「共存共栄」というのは、とりもなおさず、古来 日本天皇家の柱となる考えであり、日本人の根底に脈々と流れている世界観でもあるのです。それは、神と人との共存共栄 であって、天皇祭祀とは、まさに、神と人を繋ぐためのものだったのです。天皇陛下の毎日は、祈りから始まり、祈りで終わる・・・まさに365日祈りの日々です。自然と人を結ぶものが神(八百万の神)であり、神と人の橋渡しをしているのが天皇の祈りなのです。それは、旅先だろうが、病床だろうが、天皇は祈りの儀式を休むことはありません・・・。古来その天皇祭祀を担ってきた伯家神道の継承者の言によると、日本語の50音というのは、古代の神様とみごとに符号して、対応しているのだそうです。つまり、日本語のすべての「音」 ひとつひとつが「神」を表すものだと。 「古事記」は、神様の物語として今に伝わっていますが、それは江戸時代の国学者による解釈であり、本来の本当の存在意味は、「言葉が神である」 ということを残すために 暗号のように物語の中に50音を使って織り込んだものだということです。それを悪用されぬため、「古事記を説くものは死す」 という戒めとともに、成立直後から意図的に隠されたそうなのです。 ( 「天皇祭祀を司っていた伯家神道 」 より )日本には、「言霊」 という観念がありますよね。「言祝ぐ(ことほぐ)」 「言挙げ(ことあげ)」 という言葉があるように、、よい言をいうことによって、よい事が起きるようにと祈ることです。あれは、ほんとうに意味のあったことだと腑に落ちました。言葉に魂が宿る・・・それは自分でもなんとなく分かっているつもりでしたが、日本語の一音一音すべてに神が宿っているということを知り、今更ながら、日本語の素晴らしさ、畏れ多さを感じました。そして、「森との共存」 「自然との共生」 こういう感覚を培ってこられたのは、まさに、万物すべてに「神」が宿る と信じた日本人だからなのだということも。これは、唯一絶対の「神」 を拝する欧米人にはない考えなのです。分かり合えない理由の正体が、ここでもはっきりと分かってきました。また、日本語についてある日の中日新聞にこんな社説がありました。「主語がいらない日本語」の構造にこそ世界を救う秘密がかくされている。それはまさに、日本語の共存共栄の思想と世界観です。主語と述語がなければ成り立たない英語は、<我>と<汝>が区別され、対立する世界です。しかし、主語のいらない日本語の世界は、我と汝が一体となって溶け込み「対話の場」がつくられています。 敵も味方もなくなります。・・・・これこそが、日本語が何世紀にも何世代にもわたって先祖から引き継いできた共存共栄の思想だというのです。敵対、対立から共存共栄の世界へ。英語公用語などという愚かで不要な議論はやめて、世界を救える思想を含む日本語を世界で教えられる正しい形に整えること、これが武器や資源にもまして効果的な日本国家戦略だと訴えるのです。」( カナダ・モントリオール大学で日本語を教える金谷武洋氏の「日本語は亡びない 」からの引用 )哀しいけど、 「ここまで分かり合えないのか」と、はっきり認識せざるを得ません。でも、だからこそ、分かり合えないからこそ、それぞれの立場の人たちが実際に会って、テーブルを同じくして,、話し合い、お互いに理解に努め、同じ地球に住むものとして「共生」していかなければならないのだと思います。その「共生」とは、けっして 誰かが言うように、垣根を取っぱらって相手を全部懐へ入れる、または相手の懐へ丸腰で入る、ということではありません!それは単なる「一人勝ち」であって、「共存共栄」とはまったく違うものです。自然と人間がお互いの「領域」を侵すことなく、征服するのではなく、支配するのでもなく、思い通りにコントロールするのでもなく、互いに認め合い、尊重し合い、恩恵と脅威とのバランスを取りながら畏敬の念をもって「共に生きる」 ということだと思います。これは、これからの地球にとって、ぜったい必要な概念だと思います。この日本人にしか理解できない「自然との共生」というテーマを世界に広めることこそ、地球温暖化をはじめ、地球環境と人類保全のための最後の鍵になるような気がします。”
— ひだまり 今は古事記に夢中! 日本人にしかできないこと 再 「共存共栄」の思想 (via sqiz)