1960年代の学生運動・大学闘争全盛期には、左翼学生運動の勃興に対する危機感から、「民族派」と呼ばれる保守系学生組織が次々と結成された。彼らは“学園生活の正常化”の名のもとに左派学生グループと衝突することになるが[14]、彼らの多くが体育会系学生であったという[15]。
これを表す出来事として、元明治大学硬式野球部監督の島岡吉郎が安保反対のデモ活動に参加している学生を見つけると、教え子で当時野球部主将だった星野仙一に対し「おい、あれは赤か?」と聞き、星野が「そのようですね」と返事すると、島岡は星野にその学生を殴るよう命じ、それを遂行したというエピソードがある[16]。
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