火曜日

copipe

kennak:

“私は親の仕事の関係で10歳で渡米した時に白人ばかりいる住宅地に住むことになり、差別は色々と経験させてもらったのと、自分が日本人である、というアイデンティティを強烈に叩き込まれた。 その中でも一番よく覚えているエピソードは、5年生の時の社会科のクラスでの出来事だ。 『自然災害』について2人1組で調べてクラスの前で発表する、と言う課題だった。 私は渡米してからまだ半年、まだ英語が全然喋れなかったので電子辞書を駆使しながら何とかコミュニケーションをとっている時期だった。 隣の席の親切な男子と一緒に「地震」についてやろう、と話し合っていた。 お題が被らないようにテーマを決めたら先生に申告するスタイルだったが、 私の前に座っていた女の子2人組が「パールハーバーをやります」と言い出してびっくりした。 まだ小学校5年生だったが、流石にパールハーバーは自然災害じゃないことくらい分かった。 驚いたことに社会科の先生がそれにOKを出したので、思わず、英語が分からないなりに、"Not natural disaster!“と先生に伝えた。 先生は「いや、突然の出来事だったから、災害で良いんだ」というニュアンスのことを言った(と思う)。 この時、日本人のプライドというかアイデンティティが沸々と頭をもたげて、 私は電子辞書で 「原爆」と打って、隣の男子に、「これをやるのは?」というようなことを言った。 その子が英語が喋れない私に代わって 「先生、Atomic bombはどうなんですか?」と聞いてくれたのだが、 社会科の先生は血相を変えて 「駄目だ!」と言い放った。 納得がいかず 「Why? 原爆も突然だった」というようなことを言ったら、 「校長室へ行きなさい」 と言われて、終了した。 結局、校長室では特に何か注意されたわけでもなく、 私は隣の男子と『地震』について発表し、私の前の女子たちは『パールハーバー』について発表して、 何事もなかったように終了した。 でも、私はあの社会科の先生を一生忘れないし、私の目の前に座っていた女の子たちのことも一生忘れないだろう。 そして、私は自分が『日本人である』ことを強烈に痛感したあの日を忘れることはないだろう。 彼らは、私のことを覚えているだろうか。”

Misa 🇺🇸緩和・老年内科さんはTwitterを使っています