“当時芸能界には今で言うバーニング、ジャニーズ、吉本興業を束にしたような 「渡辺プロダクション」という巨大な「帝国」が君臨していました。 NHK紅白歌合戦は「渡辺プロダクション」のタレントがいなければ成立しない、 といわれたほどの勢力を誇っていたのであります。 この渡辺プロダクションと日本テレビの間であるコトをめぐってアツレキが生じ、 渡辺プロダクションのタレントは一切日本テレビには出演しない、 という事態が勃発しました。 渡辺プロダクションからのタレントの出演がなければ番組を作れない、 特に「歌番組」にとっては致命的でした。当時の「歌番組」の人気歌手は 半分以上が渡辺プロの歌手で占められていたからであります。 しかし当時の日本テレビの音楽プロデューサーには気骨のある男たちがいました。 ならば、「自分たちで新しいタレントを育成してスターを生み出そう」 と決意したのです。 日本テレビの音楽プロデューサーと制作局長は作詞家の阿久悠氏に相談しました。 「どうせやるなら日本一のスター誕生番組にしたい」こうして伝説の番組 「スター誕生」がスタートしたのであります。 この番組とのかかわりのなかから時代のマネージャー達が独立し、 ホリプロダクション、サンミュージック、田辺エージェンシー、 バーニングプロ、芸映プロ、研音が生まれ躍進したのであります。”—
2009-06-03
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