金曜日

copipe

やさしい日本人:

awarenessxx:

日本人はお人よしである。
バカ がつくほどお人よしだ。
また、仏教の教え「生きとし、生けるものはすべて平等である」ということと、
島国根性でもある「和の精神」が身にしみこんでいるから、「すべての人は平等である」 とか 
「おんなじなんだなぁ、人間なんだから」 とかが大好きで、信じ込んでいる。

しかし、これは大きな間違いである。
人は、民族や国家などによって、全く違う。
考え方、生き方、行動など、まったく違うのである。
例えば、日本人は鯨は多くの生命の一つとしてとらえ、
生命はすべて平等で、人間は他の生命を食せねば生きられないと考え、鯨もありがたく頂き、供養もする。
これに対し、欧米人は、生命に序列をつけ、豚や牛は、人間の食物となるべきもの、
鯨は賢く人間に近いものと考え鯨を食べる日本人は野蛮だと思っている
キリスト教などは神の決めた序列があり、当然そう思っているのだ。

中共・朝鮮など特定アジアの国も、儒教等の影響が強く、生命どころか、人間にも序列を作る。
中華思想・華夷秩序には、この思想が色濃くにじみ、劣化朝鮮儒教はさらにひどい。

和の精神と、仏教の教えの日本と
特定アジアの国々は全く異なる思想を持つ、全く異なる人種であると考えたほうが良い。
人間に序列をつけるから、当然劣等と考える人間には、序列が高い自分は何をしても良いと考える。

日本人のように、相手にも同じ人生があり、親もいるし、子どももいるかもしれない。
家族と少し嬉しかった思い出があるだろうなどと考えていると、残虐な事は出来ない。
シナ・朝鮮人のように相手が牛や豚のように、
殺しても当然だ、当たり前だと考えていないと、人に対しては残酷になれないのである。

日本人と韓国・朝鮮人との間に起こる大きな問題は、
表面的には歴史問題だったり、仲間意識だったりするのだけれど、
一番の大きな問題は、日本人が韓国・朝鮮人を仲間や同類、同種の人間と勘違いしていること。
もちろん、逆もまた真なりで、韓国・朝鮮人が日本人を自分の考えている世界観で捉えているからである。

日本人の多くは騙されて韓国・朝鮮人が同胞だと思いこんでいるので、
世界で他に類を見ない「親韓」 国家であり、
韓国・朝鮮人は小中華主義に基づく世界観により、日本人を見下し、
「日本人も当然、小中華主義に基づく言動をする」と考えているので、
世界で他に類の無い「反日国家」となっているのだ。

日本人は、
「民族は違えど、韓国・朝鮮人とは近い親戚みたいなもの」と思い込まされているが、
民族はおろか、文化・文明をはじめ、考え方、風習、行動パターンなど完全に異なる。
人種的にも同じモンゴル系に分類されること以外は、
一番遠い人種である事がDNA研究からも明らかになっている。

韓国・朝鮮人の考え方の一つとして、「国家」というものを考えてみよう。
基本的に、近代的な「国家」というものを自らの力で作ったことの無い
韓国・朝鮮人にはいわゆる民族自決による近代「国家」という観念が無い。
代わりにあるのは、「血」のつながりである。

国家や地域などは基本的に意識が薄く、
結局は血のつながりがすべてと言っても良い。
この血のつながりの伝統的なもの、姓の発祥を示すものを「本貫」といい、
「金海金氏」や「密陽朴氏 」などが代表的なものであり、
韓国・朝鮮人には国家などという垣根を越えて大切なものである。
いわゆる「一族」というものと考えればわかりやすい。

李氏朝鮮末期や諸戦争の混乱により、本貫はだいぶ混乱したが、
血のつながりは何よりも大切なものなのである。
血のつながりといえば、家族、それから親戚となる。
それでは、他人だが、友人や親しい人はどうなるのであろうか。
ここで、韓国・朝鮮の独特の考え方が始まるのである。
実は、友達や、親しい人は自分の都合で自分の家族にしてしまう、ということをするのだ。

韓国・朝鮮人はよく 「貴方のことを、お父さん(若しくはお母さん)」 と呼んででも良いですか?
とか、「これから君の事を弟だと思うことにするよ」 とか言い出す。
この瞬間から、互いは家族になり、血のつながりが発生するわけである。
そして、この本当の家族・親戚と取り決めによる家族・親戚と本貫以外は、同じ朝鮮民族でも、
全く関係の無い他人であり、外国人や牛・馬と変わらないものと見なす考えを持っている。

そして日本人は「差別」と言う言葉に弱い。

「差別だ!」「差別していいのか」「なぜ、差別するんだ」と朝鮮人やサヨクが叫ぶと
「差別しているわけじゃない・・・・が・・・」 ムニャムニャと声が弱くなっていく。

しかし、男女間には明らかな違いがあります。
また人間の能力は、その人によって大きく異なります。
つまり区別や格差は、人間が人間である限り避けられないのです。

差が有るのだから、別に扱うことは当たり前ですよね。
生徒と先生が同じですか? プロとアマチュアは平等に扱われますか?
新人と努力や苦労を重ねた年配者は同様の収入を得られますか?
実生活では、否応無しに差をつけられ、別に扱われる。
得点をあげたをチームは勝利し、点を取った受験生は合格する。
全く当たり前であり、誰も疑問に思わない。

一方ではごく当たり前に受け入れておきながら、
「差別はいけないことだ」というイデオロギーには対抗できなくなっているのだ。
それが洗脳されている証拠である。

差別が悪いのではなく、「偏見」や「思い込みによる侮蔑」が悪いのだ。
たしかに「差別」という言葉に、侮蔑のニュアンスがついてしまったので、
使いずらいことは確かであるが、「差」が有るから「別に扱う」ことは至極当然であり、
ほとんどの人は意識せずに、ごく自然にそのように行動している。
「差」により「別に扱われる人」も、ごく自然なことと受け止めているのだ。

努力した人と、何もしなかった人が平等に扱われることが「不平等」であると皆知っている。
それが国家、民族になっても当たり前である。

世界から信用される日本人と、
世界から信用を得られない民族が「差」により別に扱われることは当然である。

しかし、「差別」を正々堂々と行うには、条件がある。
それは、儒教でいう「仁」 人への・弱者への・相手への思いやりである。
仏教で教える 「慈悲の心」である。
日本人が自然に身に付ける 「和の精神」である。
「差」を当然と見なし、「差」に基づく扱いをしながら、
「仁」 「慈悲」 「和の精神」に基づき、相手を尊重し、思いやる心である。
これらをじっくり考えると、いかに日本人が洗脳されていたかわかると思う。
以上の内容を考えながら以下をお読みください。

(中略)