土曜日

copipe

darylfranz:

“私たちが脱出する前、知らないうちに、首都ラサは悲劇が訪れていた。先述したように1958年には統一されたゲリラ部隊が東チベットを中心に活動し、各地で中国軍とチベット人の激突が続いた。中国はチベット人の抵抗を封じるために、チベット人の最高指導者であり、統合の象徴でもあるダライ・ラマ法王を自らの手中に収めようとした。 3月、中国側は法王を観劇に招待すると告げ、かつ、護衛は必要ないと付け加えた。人民解放軍が法王を拉致しようとしているのは明らかで、ラサ中の市民はついに総決起した。3月10日、群衆はダライ・ラマ法王の夏の離宮であるノルブリンカ宮殿を取り巻き、法王を守るとともに、「チベット独立」「中国軍はチベットから出て行け」というシュプレヒコールが怒涛のように挙がった。 実はこの日、ダライ・ラマ法王は、ひそかに脱出、インドを目指した。19日には、中国軍は大砲で一気に宮殿を攻撃。このとき、セラ、ガンデン、デブンというチベットの三大寺院もまた破壊された。ラサ市民は必死で戦ったが、武器らしい武器も持たない彼らは、中国軍の前に屍をさらすばかりだった。3日間の戦闘で、1万から1万5千人が虐殺されたと伝えられる。 実はダライ・ラマ法王の一行も、インド亡命の際、同じく、中国空軍の飛行機に見つかり、パイロットは毛沢東に指令を仰いだという説がある。そのとき毛沢東は「そのまま逃がしてやれ。どうせ、インドについてもそのまま路頭に迷うだけだ。もしここでダライを殺してしまったら、逆に、永遠にチベット人はそのことを記憶に残してしまうだろう」と答えたという。”

「寛容の国」チベットはなぜ中国に滅ぼされてしまったのか