“よく言われるように、わが国では昔から「世間(せけん)」というものが大きな役割を果たしてきました・・・「世間に恥ずかしい」ということがモラルの規凖みたいになってきたのです。”—
感情の聴(き)き方
《コスモスライブラリー》より。
2004年10月延岡市 青年大学講座資料
http://www.kosmos-lby.com/column01/e20.html
《省略》
よく言われるように、わが国では昔から「世間(せけん)」というものが大きな役割を果たしてきました・・・「世間に恥ずかしい」ということがモラルの規凖みたいになってきたのです。
世間的な一般通念は、その時代時代の大多数の人々の《思い込みの集合体》にすぎず、ゆえにそれは無責任でいい加減なものでしかありませんが、幼時から「世間にどう思われるか?」ということを恐怖する大人たちに囲まれて育つので、それが条件づけとなって無意識にそれを恐れるようになるのです。
そして、自らそれと一体化して安心感を得ようとする・・・それに反する欲求、感情、直観は排除、抑圧されるのです。
「世間」によって他を虐待し、自らを虐待する・・・このパターンが深くインプットされているので、世間的な通念に異を唱えようとする団体や、反社会的と見なされる集団内部においてさえ、その内部特有の「世間」が形成され、同じようにして異端分子を排除するということが繰り返されるのです。
それはこっけいなほどです。
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(via awarenessxx)