“「自分をみつめる」”—
エッセイ
http://www.mitachiacademy.com/es2005-7.html
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毎日の生活に追われながらも、誰も一度は自分自身について真剣に考え悩んだことがあるのではないかと思います。
「将来、自分はどうなるのだろうか?」
「何をするために生まれてきたのか?」
「こんなことをしていて良いのだろうか?」
「今よりも張り合いのある生活をしたい。」
将来・未来に不安を抱かずに日々を過ごしている人は、この世に存在するのでしょうか?誰もが一度は考えた経験がある問いだと思います。そして現在・今よりも未来は、必ず良くなると期待し向上心を持ち努力をし生きているのでしょう。以前は、よく「自分はなぜ生きているのか?」「自分にとっての生きがいとは?」とたびたび自問したものですが、ここ最近その問いにたいしての興味がなくなってきたのか、あまり考えなくなりました。
「そんなに真面目腐って難しく考えても・・・考えたところで何も変らない、なるようにしかならないんだから。」「この世に生まれてきたついでに死ぬまで生きる。」「人生なんてその程度のものだ。」と思うようになりました。自分をあきらめてしまったような、何となく投げやりな印象を受けると思いますが、現在のいつわざる正直な心境です。
思いおこせば20代の頃は、人並みに野心も欲も夢もあったような気がします。自分自身ににムチを当て「もっと頑張れ!走り続けろ!負けるな!」と叱咤しながら生きていた時期もありましたが、いつの頃から自分の能力の無さに気づき始め、「所詮、自分の人生はこの程度だ。」と開き直るようになりました。
未知の物に挑むこともおっくうに感じ、何かあるとなるべく丸くことを収めようと、どうしても安易な道を選択してしまいがちです。熱く燃えるような、何かしなくてはとジッとしていられない気持ちは、残念ながら消えうせていくのを感じています。加齢とともに体力にも気力も衰えていることは間違いありませんが、こんなにも気持ちが冷め積極性に欠けることになるとは、若かりし頃からは想像も出来ませんでした。
「何かしたい!」「どうにかしたい!」「手に入れたい!」という欲(ほっ)する気持ちが減少した分だけ心の葛藤(苦しみ)が少なくなったということでしょう。また生きているうちに多くの失敗・挫折・落胆を経験し精神的に鍛えられ、些細な困難にぶつかってもあまり動揺しなくなったのかもしれません。ただ神経がずぶとくなってきたのかもしれません。
お金がすべて自分の欲望を満たしてくれると盲信して、金儲けだけを目標に毎日を生きている人も沢山います。お金はなくとも平穏で平凡な生き方を望むの人も沢山います。お金はどれだけ稼いでも満足は出来ません。もっともっと欲しくなるはずです。いつまでもフロンティア精神に溢れ冒険をし続ける人もいれば、保守的に変らない安定を望む人もいるでしょう。最近は、平凡な毎日を望むようになり、非日常的なことはなるべく避けようとする心理が働いてしまいます。波風のたたない静かで穏やかな日々を過ごせたらなと思っています。
若い頃は、「何でも自分で出来るのではないか?やって出来ないことは無いのではないか?」と自分の能力を信じきることが出来ました。自力をたのむことが当たり前のようでした。しかし、年を取るごとに何度も失敗や挫折を繰り返し、この世は自分の計画どおりにはいかない思うように行かないことだらけだと気づき始めます。
《省略》
(via awarenessxx)