えひめ丸は600mもの海底に沈んだため、船体引き上げは困難であり、沈没当初は米国の慣習に従い、沈没船体は放置される予定だった。しかし事故発生時から、行方不明者家族らにより沈没した船体の引き上げが強く望まれたこと、日本の火葬による葬儀の風習、また日本人の感情などに配慮した米国側は、代行案として船体の浅瀬への曳航を提示、行方不明者家族側もこれを了承した。日本政府は2001年8月に愛媛県からの要請により潜水艦救難艦ちはやを災害派遣し、遺体捜索作業を行った。この作業により行方不明者9名の内8人の遺体を収容した[7]。
この引き上げ・曳航作業の資金として、米国は6,000万ドルを投入した。このことは米国内で議論を呼び、拠出の事実のみを批判する米国人も存在した。なお、英語圏のマスコミ報道ではえひめ丸について「漁船」 (fish boat)と紹介され、高校生が乗っていた実習船であることを報道した記事は少なかった。
”- えひめ丸事故 - Wikipedia (via petapeta)